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スライド2.GIF4月25日(日)

              Claesに夕食を招待されたので、タクシーで向かった。すでに夏時間帯のジュネーブの1930分は、まだまだ明るい。Claesの自宅には何度か伺っているが、結構な広さの庭があり、この日はライラックの良い香りが立ち込めていた。夕食は総勢16人であった。Pozzan 教授(イタリア)Petersen教授(英国)、Prentki教授(カナダ)、Biden教授(オーストラリア)、Spat教授(ハンガリー)、Ullrich教授(ドイツ)、Trautman先生(ドイツ・Lillly)、Claes11歳年上の兄上(リウマチの教授)と奥さんが何人かという具合であった。

 

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4月26日(月)

            この日の午後からSymposiumが始まる。レマン湖畔のカフェレストランで早めの昼食(旬のアスパラガスとPersh)をとり、ホテルに戻ると、ちょうどGordon Weir, Susan BonnerWeir 教授(米国)夫妻がロビーにいた。夫妻と話しこんでいると、Rorsman教授がロンドンから到着した。Weir教授夫妻、Rorsman教授と4人でGeneve大学の記念講堂へ向かった。30分ぐらい早く着いたので、ClaesOfficeに行ってみたところ、実験室等は私の留学当時と全く変わっていなかった。秘書のJambieveKatharineも変わっていなかった。

 

              会場で、Berggren教授(スウェーデン)、Schuit教授(ベルギー)、Groop教授(スウェーデン)、Rutter教授(英国)と会った。話には聞いていたが、Claesの古くからの知り合いの2008年ノーベル化学賞のRoger Tsien教授も来ており、挨拶をかわした。留学時代の同僚のPierre (Maechler教授)、とPedro (Herrera教授)は、Geneve大学で教授になっており、BenoiGauthier教授)は半年前にSevillaの教授になっていた。アジア人同士ということで、何かと親切にしてくれたHayan Wangは、ロッシュの主任研究員となっていた。また、当時technician学校の学生で、研修生として私のtechnicianをやってくれていたOlivie Duponは、他の研究室の正式なtechnicianとしてのポストを得て、娘2人も生まれてハッピーにやっていると言っていた。

 

             Symposium Lernmark教授(スウェーデン)がChair personとなって、Weir教授の講演から始まった。私の講演は17時からであった。これだけの面々の前、特にノーベル賞学者の前で話すのであればもっと準備をしっかりやっておくべきと後悔したが、後の祭りである。なんとかなったとは思うが反省した。私の講演 Chair personThorens教授がうまくまとめてくれた。

 

              夕食の会までの1時間ほどは、私が留学していた当時大学院生だったMariellaBlanca2人の女性研究者が会場に来ていたので、彼女達とお茶をした。それぞれ小さなグループのheadをやっており、頑張っている様子であった。

 

             夕食は、SpeakerCahir personを中心に、皆が宿泊している中級のホテル(Tiffany Hotel)でとった。ヨーロッパの研究室の会合は、あまり派手にやらないところがいい。翌日のspeakerは、みんな準備をするからと少し早目に引き揚げて行った。

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427日(火)

              830分から、symposium 2日目が始まった。午前は、PierreGlutamate theoryを展開した。異論もあるのは事実だが、私は彼を応援している。

 

    昼食前にTsien教授の特別講演があった。彼の講演を聞くのは2回目だと思うが、圧倒される講演ぶりであった。

 

              午後は、Rorsman教授の講演を楽しく聞いた。前日、歩きながら「私と異なるところはある」と話したが、私の結果も条件によってはいいのだと認めてくれている。

             

              前記のように、ヨーロッパの教室の会合であるから、あまり派手には進まない。

堅実な中身の濃いsymposiumであった。

 

              ところが、この日の夕食のパーティーは結構しっかりしたもので、レマン湖畔の高級ホテル(Beau Rivage Hotel)100人ほど招待された(会費を払うということはない)。Pedroが隣の席だったので、今月初めに彼がNatureに発表した論文の内容や、苦労話を聞いた。

 

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      Claesの父親は、ドイツ帝国の有名な循環器の教授であり、日本からも何人も留学している。その父親のもとで臨床家を目指し、臨床医として短期間だけ基礎的な研究も体験しようと、彼がGeneveに来たのが約40年前の話だそうである。その時、彼は中心網膜変性症を発症し、将来視力障害が進行することを見越した父親からの勧めもあり、研究者としての道を進むことを決意してGeneveにとどまることとなった。Claesの兄は、その当時のClaesの様子を淡々と話し、その後の奥さん(Snippy)の献身的なサポートを讃えた。現在では音読機器が発達してきているが、その昔は秘書等が論文を読んで聞かせ、それをすべて暗記してしまうという様な勉強の仕方であった。

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専門医

2010年01月30日
昨年末に糖尿病専門医認定試験の発表があり、1月の糖尿病学会誌にも2009年度認定として正式に掲載されました。
私達の医局からは新たに2名の先生が、無事試験に合格し糖尿病専門医になりました!
おめでとうございます。







リリー賞

2009年04月27日
石原先生が『2型糖尿病発症における膵β細胞障害の分子機構』で2009年糖尿病学会のリリー賞を受賞されました。5月21日(木)14:00から第52回日本糖尿病学会年次学術集会において受賞講演が行われます。
日経BP社のCVD.jpというサイトに『日本人の糖尿病を考える』について、石原教授がコメントを寄せています。
皆様、見てくださいね!
日本人の糖尿病を考える

ラジオ放送

2009年01月26日
ishihara.jpg1月30日の21時30分からRFラジオ日本(1422kHz)で放送される番組に石原教授が出演します!中神義三先生(昭和大学医学部客員教授、介護老人保健施設ハートケア湘南・芦名施設長)と糖尿病の今日的問題について対談させていただきました。

詳しくはラジオ日本番組表でもご確認ください。
http://www.jorf.co.jp/timetable/090130.php
厚生労働省は、昨年12月25日に07年の国民健康・栄養調査で、糖尿病患者とその予備群が推計2210万人と発表。5年前の1620万人に比べて36%増えていたことがわかった。同調査は昨年11月、6千世帯1万8千人を対象に実施。糖尿病については、20歳以上の4千人を対象に、血液検査で血中の血糖の状態を表す「ヘモグロビンA1c」値を測り、測定結果をもとに全国推計を算出。
「糖尿病が強く疑われる人」は推計890万人で、「可能性が否定できない人」は同1320万人。一方で、「強く疑われる人」のうち約4割が治療をほとんど受けたことがなかったという。当教室のサイトだと専門医1人につき、2000人の患者となっているけれど、予備軍も入れれば専門医1人につき5000人の患者となってしまいます。糖尿病専門医はますます必要に!
08年12月19日、メタボリック症候群の概念の創設者Prof. DeFronzo先生を囲んでの研究会"Diabetes Mellitus Expert Meeting"に総合司会・座長として参加いたしました。

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写真は、メタボリック症候群の概念の創設者Prof. DeFronzo 先生と



11月14日は世界糖尿病デー
1891年11月14日 フレデリック・バンティング医師がインスリンを発見しました。

2006年12月20日、国連は国連総会義で、IDFが要請してきた「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」を加盟192カ国の全会一致で可決しました。同時に、そして、国際糖尿病連合(IDF)ならびに世界保健機関(WHO)が定めていたこの11月14日を「世界糖尿病デー」として指定しました。"Unite for Diabetes"(糖尿病との闘いのため団結せよ)というキャッチフレーズと、国連や空を表す「ブルー」と、団結を表す「輪」を使用したシンボルマークを採用。全世界での糖尿病抑制に向けたキャンペーンを推進しています。
11月14日東京タワーが青くなったのをご覧になった方はいましたか?
駿河台病院の屋上からもブルーの東京タワーが見えました。
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