Claes B. Wollheim教授退官記念シンポジウムおよびパーティー
2010年06月11日
4月25日(日)
Claesに夕食を招待されたので、タクシーで向かった。すでに夏時間帯のジュネーブの19時30分は、まだまだ明るい。Claesの自宅には何度か伺っているが、結構な広さの庭があり、この日はライラックの良い香りが立ち込めていた。夕食は総勢16人であった。Pozzan 教授(イタリア)、Petersen教授(英国)、Prentki教授(カナダ)、Biden教授(オーストラリア)、Spat教授(ハンガリー)、Ullrich教授(ドイツ)、Trautman先生(ドイツ・Lillly)、Claesの11歳年上の兄上(リウマチの教授)と奥さんが何人かという具合であった。
この日の午後からSymposiumが始まる。レマン湖畔のカフェレストランで早めの昼食(旬のアスパラガスとPersh)をとり、ホテルに戻ると、ちょうどGordon Weir, Susan Bonner‐Weir 教授(米国)夫妻がロビーにいた。夫妻と話しこんでいると、Rorsman教授がロンドンから到着した。Weir教授夫妻、Rorsman教授と4人でGeneve大学の記念講堂へ向かった。30分ぐらい早く着いたので、ClaesのOfficeに行ってみたところ、実験室等は私の留学当時と全く変わっていなかった。秘書のJambieveとKatharineも変わっていなかった。
会場で、Berggren教授(スウェーデン)、Schuit教授(ベルギー)、Groop教授(スウェーデン)、Rutter教授(英国)と会った。話には聞いていたが、Claesの古くからの知り合いの2008年ノーベル化学賞のRoger Tsien教授も来ており、挨拶をかわした。留学時代の同僚のPierre (Maechler教授)、とPedro (Herrera教授)は、Geneve大学で教授になっており、Benoi(Gauthier教授)は半年前にSevillaの教授になっていた。アジア人同士ということで、何かと親切にしてくれたHayan Wangは、ロッシュの主任研究員となっていた。また、当時technician学校の学生で、研修生として私のtechnicianをやってくれていたOlivie Duponは、他の研究室の正式なtechnicianとしてのポストを得て、娘2人も生まれてハッピーにやっていると言っていた。
Symposium はLernmark教授(スウェーデン)がChair personとなって、Weir教授の講演から始まった。私の講演は17時からであった。これだけの面々の前、特にノーベル賞学者の前で話すのであればもっと準備をしっかりやっておくべきと後悔したが、後の祭りである。なんとかなったとは思うが反省した。私の講演 のChair personのThorens教授がうまくまとめてくれた。
夕食の会までの1時間ほどは、私が留学していた当時大学院生だったMariellaとBlancaの2人の女性研究者が会場に来ていたので、彼女達とお茶をした。それぞれ小さなグループのheadをやっており、頑張っている様子であった。
夕食は、SpeakerとCahir personを中心に、皆が宿泊している中級のホテル(Tiffany Hotel)でとった。ヨーロッパの研究室の会合は、あまり派手にやらないところがいい。翌日のspeakerは、みんな準備をするからと少し早目に引き揚げて行った。
4月27日(火)
8時30分から、symposium 2日目が始まった。午前は、PierreがGlutamate theoryを展開した。異論もあるのは事実だが、私は彼を応援している。
昼食前にTsien教授の特別講演があった。彼の講演を聞くのは2回目だと思うが、圧倒される講演ぶりであった。
午後は、Rorsman教授の講演を楽しく聞いた。前日、歩きながら「私と異なるところはある」と話したが、私の結果も条件によってはいいのだと認めてくれている。
前記のように、ヨーロッパの教室の会合であるから、あまり派手には進まない。
堅実な中身の濃いsymposiumであった。
ところが、この日の夕食のパーティーは結構しっかりしたもので、レマン湖畔の高級ホテル(Beau Rivage Hotel)に100人ほど招待された(会費を払うということはない)。Pedroが隣の席だったので、今月初めに彼がNatureに発表した論文の内容や、苦労話を聞いた。
Claesの父親は、ドイツ帝国の有名な循環器の教授であり、日本からも何人も留学している。その父親のもとで臨床家を目指し、臨床医として短期間だけ基礎的な研究も体験しようと、彼がGeneveに来たのが約40年前の話だそうである。その時、彼は中心網膜変性症を発症し、将来視力障害が進行することを見越した父親からの勧めもあり、研究者としての道を進むことを決意してGeneveにとどまることとなった。Claesの兄は、その当時のClaesの様子を淡々と話し、その後の奥さん(Snippy)の献身的なサポートを讃えた。現在では音読機器が発達してきているが、その昔は秘書等が論文を読んで聞かせ、それをすべて暗記してしまうという様な勉強の仕方であった。
プロフィール
Author:日大医局員
日本大学医学部 内科学系 糖尿病代謝内科学分野HP

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